浦和地方裁判所 平成7年(ワ)857号 判決 1999年3月29日
主文
一 被告は、原告ら各自に対し、金一〇九八万五〇六四円及び内金九九八万五〇六四円に対する平成六年五月一四日から、内金一〇〇万円に対する平成七年五月二四日からそれぞれ支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
二 原告らのその余の請求をいずれも棄却する。
三 訴訟費用は、これを三分し、その一を被告の、その余を原告らの負担とする。
四 この判決は、第一項に限り、仮に執行することができる。
理由
一 請求原因1の事実は、当事者間に争いがない。
二 本件事故の発生
1 一郎が、当時六歳で、小学校一年生であったが、平成六年五月一三日、鴻巣市赤見台三丁目一番地先の武蔵水路に転落し、同日午後四時ころ死亡したことは、当事者間に争いがない。
2 右争いのない事実と《証拠略》によれば、次のとおり認められる。
(一) 一郎は、平成六年五月一三日午後一時三〇分ころ、近隣公園への遠足から帰宅したが、同級生の丙川の自宅に遊びに行き、丙川、乙山の三人で遊んだ。その後、右三人は、近隣公園で遊んだ後、上流側の橋下フェンスのすき間から、橋下部分に立ち入ったが、その後、乙山は、橋下部分から出て、赤見橋の本件橋台脇にある階段で、一人で過ごしていた。一郎と丙川は、本件破損部分から本件橋台に出て、本件橋台で遊んでいたが、そのうち、一郎の姿が見えなくなり、丙川だけが、橋下フェンスのすき間から、橋下部分の外側に出てきた。その後、丙川と乙山は、それぞれ自宅に帰ったが、乙山の帰宅時刻は、午後三時過ぎころであった。なお、丙川、乙山、原告らの自宅は、同じ町内にあり、赤見橋から約三、四百メートル離れている。
(二) 原告花子が、平成六年五月一三日午後六時ころ、丙川から聞き出したところによると、丙川が一郎と別れたときの様子は、一郎は公園のそばの大きな水路で落ちたということであった。
(三) 原告花子が、平成六年五月一三日午後六時一〇分ころ、丙川から案内を受けた転落現場は、橋下部分から立ち入った本件橋台であったが、その際、本件橋台の本件フェンス側に一郎らのものと思われる児童の二種類の足跡が認められた。なお、赤見橋桁と橋下フェンスから本件橋台までの直線距離は、約一三・六メートルであった。
(四) 平成六年五月一九日午後四時五分ころ、埼玉県北本市石戸宿五丁目二六三番地西方約五〇〇メートルの荒川右岸テトラポットにおいて、一郎の遺体が発見された。一郎の死体を検案した林静馬医師は、一郎の死亡時刻を同月一三日午後四時ころと推定した。
(五) 埼玉県鴻巣警察署は、本件事故につき、丙川、乙山らから事情を聴取し、橋下部分の現場検証等を行った結果、一郎、丙川、乙山の三人が橋下部分付近で遊んでいたこと、本件事故は、平成六年五月一三日午後四時ころ、鴻巣市赤見台三丁目一番一号付近の赤見橋下の武蔵水路で発生したこと、本件フェンスには、本件事故当時、本件破損部分があったこと及び本件橋台にはすべった痕跡等はなかったことをそれぞれ認めた。
3 右認定の事実によれば、一郎は、丙川、乙山らと橋下部分で遊んでいたところ、そのうちに姿が見えなくなり、武蔵水路に転落して死亡したというのであるから、一郎は、赤見橋橋桁と橋下フェンスの間から橋下部分に立ち入り、さらに丙川とともに、本件破損部分から本件橋台に至り、そこで遊んでいるうちに武蔵水路に転落したものと認めるのが相当である。
なお、被告は、乙山の帰宅時刻から推定される一郎の姿が見えなくなった時刻と一郎の死亡時刻が一時間ないし一時間半程度ずれていること、一郎には外傷がなく、本件橋台に滑った痕跡もみられなかったこと、小学生が赤見橋の欄干の上を歩いていたこと等から、一郎が本件破損部分から本件橋台に立ち入って武蔵水路に転落したかどうかは明らかではないと主張するが、乙山の帰宅時刻は乙山の兄の記憶にすぎず、一郎が武蔵水路に転落した時刻も、医師の推定時刻であり、また、一郎に外傷がなかったかどうかは本件記録上明らかでないし、一郎が武蔵水路に転落する前示の状況などに照らすと、一郎が本件橋台から武蔵水路に転落したものではないとする被告の右主張は理由がなく、他に前記認定を覆すに足りる証拠も存しない。
三 本件事故現場の状況、本件フェンスの管理等
当事者間に争いがない請求原因3(一)及び同(二)の各事実と、《証拠略》によれば、次の各事実が認められる。
(本件事故現場の状況)
1 武蔵水路は、昭和四四年三月、被告により、利根川の水を東京都及び埼玉県の上水道用水及び工業用水として導水するとともに、農業用水等の取水の安定及び利用の合理化を図ることを目的として、設置された水路であり、同県行田市須加地先の利根大堰取水口より鴻巣市糠田地先まで延長約一四・五キロメートル、底幅八メートル、天端幅一六・七メートル、深さ二・九メートル(計画水深二・五メートル)の台形三面コンクリートライニング水路で、両岸は約三四度の傾斜の人工岸壁で水面に接し、計画通水容量は毎秒五〇立方メートルであった。なお、本件事故当日の通水量等は、通水量毎秒三五・四〇立方メートル、水深約二・一メートル、流速毎秒約一・五メートルであった。
2 被告は、武蔵水路の建設に伴って、昭和三九年ないし四〇年ころ、現在、赤見橋がある位置に、新田橋を建設し、鴻巣市は、昭和四〇年一一月一九日、被告から新田橋を引き継いだ。
3 住宅・都市整備公団は、鴻巣都市計画事業箕田赤見台土地区画整理事業(昭和五六年度工事完成)の一環として、新田橋を撤去して、同じ位置に幅二二・八メートル、橋長四六・八メートルの赤見橋を建設し、昭和五三年二月に竣工させた。新田橋は、武蔵水路及び武蔵水路の両側に武蔵水路を管理するために敷設された管理用道路と平面的に交差していたが、赤見橋は、武蔵水路及び管理用道路をまたぐ形で立体的に交差する形となり、従前新田橋のあった部分には、防護フェンスがなく、人や自動車等がここから武蔵水路へ転落する危険が生じたので、住宅・都市整備公団は、右危険を防止するため、本件フェンスを設置した。
また、赤見橋下の管理用道路から赤見橋の橋桁までの高さは、一・八〇〇メートルであり、道路構造令(昭和四五年政令第三二〇号)一二条第一図が規定する車道の建築限界のうち、高さの要件である三メートル、四メートル及び四・五メートルのいずれも下回ることとなったため、管理用道路のうち赤見橋下の部分、つまり橋下部分は、車道として使用することができなくなり、かつ、人の通行にも危険があるため、住宅・都市整備公団は、橋下フェンスを設置して、右部分に立ち入ることができないようにした。そして、橋下部分の対岸である武蔵水路右岸側も、同様に管理用道路が分断されたため、右岸側に赤見橋取付け道路が設置され、右岸側の分断された管理用道路は、駐車場になっている。
4 武蔵水路は、鴻巣市内を貫流し、住宅密集地である北鴻巣パークシティ団地の中央を横断していた。原告宅は赤見橋から三、四百メートル離れた位置にあり、原告宅の周辺には、公園施設として、同市赤見台四丁目一四番所在のさつき公園、同市赤見台四丁目一九番所在の同市立赤見台第一小学校(以下「第一小学校」という。)の校庭、同市赤見台三丁目所在のしいのき公園、同市赤見台一丁目一五番所在の赤見台中央公園、同市赤見台三丁目三七番所在の近隣公園があった。
本件事故当時、橋下部分は、橋下フェンスによって外部と一応隔離されていたが、橋下フェンスと赤見橋の橋桁との間に、縦三二センチメートル、横三七センチメートルのすき間があり、平均的な小学生であれば、橋下フェンスの外側から、このすき間をくぐり抜けて橋下部分に立ち入ることは可能であった。子供らは、このすき間から橋下部分に出入りしており、昭和六三年ころには漫画本を読んだり、鬼ごっこの隠れ場等とされ、殊に平成三年ころ以降は、「秘密基地」と称されて、子供らの隠れた遊び場となっていた。
(武蔵水路・本件フェンスの管理等)
1 昭和四三年四月から平成九年五月までの間に、武蔵水路に約五五人が転落して死亡しており、昭和六三年五月七日には、赤見橋付近で遊んでいた四歳の幼稚園児が、防護フェンスと地面との間にあった約二〇センチメートルのすき間から転落したという事故が発生したため、被告は、右事故後、防護フェンスの下に軽量ブロックを置いて右すき間を塞いだ。その後、平成七年七月二五日、五二歳の女性が、武蔵水路に転落したが、救助されたという事故も発生した。
2 被告は、武蔵水路の付属施設として、人の立入りを防ぐため、延長約一四・五キロメートルの全線にわたって、武蔵水路の両岸に、高さ約一・五メートル、そのうち上部〇・三メートルについては、有刺鉄線の防護フェンスを設置し、これを管理していた。本件フェンスは、住宅・都市整備公団により設置され、高さ一・六八メートルで、その上部には有刺鉄線はなく、右防護フェンスの一部を構成し、これと一直線に一体としてつながっており、被告において防護フェンスとともに管理していた。
3 また、被告は、本件事故当時、救命施設として、堤内水路内に浮きブイを三六か所、救助手摺りを八八か所、タラップを九八か所、六か所の各伏越の入口に救助用スクリーンを、武蔵水路内への立入りを禁止する看板を八八か所設置し、武蔵水路周辺に住む住民に注意を呼びかけ、さらに、一郎が通学していた第一小学校周辺の一二か所の小学校に対し、毎年七月上旬ないし下旬ころ、「水路周辺の危険防止チラシ」を合計五三〇〇枚配付して、児童らが防護フェンスを乗り越える等して武蔵水路に立ち入らないように注意していた。赤見橋付近においては、赤見橋左岸上流側に、「キケン!みずあそびはやめよう!」と記載された看板を、赤見橋下流約八〇メートル地点所在の助右衛門橋付近に、浮きブイ、救命棒、「立入禁止」と記載された看板、「あぶない!!みずあそびはやめよう」と記載された看板及び救助手摺りを、赤見橋下流右岸約四五メートル及び下流左岸約一九五メートル地点にタラップを、赤見橋上流約九五メートル地点所在の惣兵衛橋付近に、浮きブイ、救命棒、「立入禁止」と記載された看板、「あぶない!!みずあそびはやめよう」と記載された看板、「キケン水あそびはやめよう!」と記載された看板及び救助手摺りを、それぞれ設置していた。
4 被告は、水の友に委託して、五月から一〇月までは、毎日、一一月から翌四月までは火、木、土曜日の週三日、武蔵水路を全線にわたって、巡視していた。本件事故当日の巡視状況は、二名が自動車で、通常、午後一時ころから午後五時ころまでの間、武蔵水路の上流から下流に向かって全線約一四・五キロメートルにわたって、武蔵水路沿いの管理用道路を自動車で走行して、施設本体、防護フェンス及び救命棒等の安全管理施設の保守点検を行い、その際、武蔵水路周辺の状況や、沿線の諸工事等の状況にも注意し、主要な施設においては、自動車から降りて、水位の観測を行うとともに、必要に応じて、水路内の防塵スクリーンにかかったゴミの除去作業等を行っていた。しかし、赤見橋付近については、本件事故当時は、自動車から降りずに赤見橋取り付け道路を走行しながら巡視していたにすぎなかったため、この方法では、本件フェンスを見通すことはできなかった。
被告は、委託先の水の友を通じて、本件事故のあった平成六年五月一三日午後及び同月一二日午前にも、武蔵水路の巡視等を行った。本件事故当日は、午後一時ころ出発して午後五時ころまで巡視等を行ったが、本件破損部分の存在や橋下部分に子供らが立ち入っていることなどは発見できなかった。
なお、被告は、毎年一回、鴻巣市長、同市議会議長、同市教育長、幼稚園理事長ら、小中学校校長ら及び各PTA会長らから構成される鴻巣市水難事故防止対策協議会に出席し、周辺住民の意見を聴取する機会を設けていた。
5 本件事故を契機として、鴻巣市は、橋下フェンスと連続して別紙図面一のC、Eの各点を結んだ部分及びD、Fの各点を結んだ部分にフェンスを増設し、水の友は、駐車場部分では車を降りて、赤見橋及びその橋下を巡視するようになった。
四 以上の事実に基づき、被告に武蔵水路及び本件フェンスの設置・管理に瑕疵がないかどうかにつき判断する。
1 前記認定した事実によると、武蔵水路は、深さ二・九メートル、底幅八メートル、天端一六・七メートルで、その両岸は、約三四度の傾斜の人工岸壁で水面に接し、本件事故当時は、通水量三五・四〇立方メートル、流速毎秒約一・五メートルであったというのであるから、武蔵水路に転落した場合は、自力ではい上がることはほとんど不可能であり、現に、本件事故までに武蔵水路に転落して死亡するという事故が相次いでおり、昭和六三年には、赤見橋付近で遊んでいた幼稚園児が防護フェンスのすき間から武蔵水路に転落して死亡するという事故が発生していること、被告は、武蔵水路への立入りを防止するためには、全線にわたって防護フェンスを設置するとともに、立入禁止の看板を設置して注意を呼びかけ、また、救命施設として浮きブイ、救命棒、救助手摺り、タラップ、救助用スクリーンを設置して、万一の事態に備え、さらに、武蔵水路の管理に当たっては、前記のとおり、防護フェンスを設置するとともに、これが破損した場合には補修し、さらに、武蔵水路周辺の小学校一二校に対し、武蔵水路の危険性を知らせるチラシを配布する等して武蔵水路を管理するとともに、鴻巣市水難事故防止対策協議会に出席して地元住民からの意見を聴取する等していることが認められ、かかる事実によると、被告は、子供らが武蔵水路の堤内に立ち入ることのあり得ること及び子供らが武蔵水路の堤内に立ち入った場合には、武蔵水路に転落して死亡する事故が発生することを予測していたと認められる。
したがって、被告は、子供らが武蔵水路の堤内に立ち入らないようにするために必要な措置を講ずる義務を負うとともに、右防護フェンスと一体となっている本件フェンスについても、その管理に万全を期し、破損等があれば直ちにこれを補修する等して武蔵水路を管理すべき義務を負うというべきである。
2 本件事故は、前示のとおり、一郎が、本件フェンスの本件破損部分から武蔵水路の堤内である本件橋台に立ち入ったために生じたものである。本件破損部分がいつ生じたかは不明であるが、本件事故当日に一郎や丙川らが本件フェンスを破損したものとする証拠はなく、かえって、その破損の大きさ、フェンスの材質、形状等からみると、むしろ、本件事故の日より相当以前に既に存していたものと認めるのが相当である。ところで、被告は、前記認定のとおり、武蔵水路に防護フェンス、救命施設、立入禁止の看板等を設置し、さらに、武蔵水路周辺の小学校一二校に対し、「水路周辺の危険防止チラシ」を合計五三〇〇枚配布する等していたほか、水の友に委託して、防護フェンスや救命施設等の保守点検、破損個所の補修をする等して武蔵水路を管理していたが、赤見橋地点については、管理用道路が分断されていたことから、武蔵水路右岸の赤見橋取り付け道路を自動車で走行しながらの目視確認をしていたにとどまり、赤見橋の橋下に設置された本件フェンスの状況を直接確認しなかったため、本件フェンスが縦一・三メートル、横〇・六五メートルにわたって破損していることを現認することができなかったものである。武蔵水路の危険性にかんがみると、赤見橋付近について、防護フェンスと一体をなす本件フェンスの状況を直接確認することなく、武蔵水路右岸からの目視確認による巡視を相当とする合理的な理由は存しないし、本件破損部分の補修をすることなく放置したため、本件事故が発生したのであるから、被告としては、武蔵水路の設置管理に瑕疵があるといわざるを得ない。
3 もっとも、被告は、橋下部分への立入りを防ぐ橋下フェンスがあることなどから、子供が橋下部分に立ち入ることは通常予想できないから、本件フェンスに破損があっても、瑕疵がないと主張する。しかしながら、前記のとおり、橋下フェンスと赤見橋の橋桁との間には、縦三二センチメートル、横三七センチメートルのすき間があり、右すき間から立入りが可能であること、そのすき間を塞ぐための有刺鉄線も、本件事故当時は、橋下フェンスの脇に落ちていたから、右すき間を塞ぐのに十分な役割を果たしていたとは、到底認め難い。かえって、赤見橋と近隣公園とは隣接した位置関係にあること、小学生程度の児童が、橋下部分のような狭い場所を利用してかくれんぼなどの遊びをすることは一般に予測でき、現に、橋下部分は「秘密基地」として子供らの遊び場になっていたことに照らせば、一郎らが、橋下部分に立ち入って遊んでいたことが、通常予想できないような異常な行動であるとは、認められない。
また、被告は、本件橋台は、幅五・九四メートル、奥行き一・三六メートルの平坦な平場であり、さらに、本件橋台の縁から九九センチメートル下には、階段状の本件張出し部分があるから、他の者から、ふざけて押される等して転落したか、自ら右本件張出し部分に飛び降りる等異常な行動がなければ、本件橋台から武蔵水路に転落することはないから、本件事故は、通常予想できる範囲を逸脱した事故であって、被告がこれについて責任を負うものではないと主張する。しかしながら、被告が主張するように、一郎が、他の者から、ふざけて押されたことにより武蔵水路に転落したとか、一郎が本件張出し部分に飛び降りたという事実を認める証拠は、存しない。また、被告は、武蔵水路の危険性が高いとして、武蔵水路への立入りを防止する目的で、橋下フェンス及び防護フェンスと一体をなす本件フェンスを設置、管理し、小学校に対しても武蔵水路の危険性を訴えていたものであり、また、子供が武蔵水路に転落して死亡したという事故も発生しているのであるから、子供らが水に対して興味を持ち、武蔵水路に対する危険の認識を欠いたままその堤内に立ち入ることのあり得ることを十分に予測していたというべきである。したがって、一郎が、本件破損部分から本件橋台に立ち入り、本件張出し部分に飛び降りる等したために、武蔵水路に転落したとしても、一郎のかかる行動が、直ちに被告の予測することが不可能な異常な行動であると認めることは困難である。したがって、被告の右主張も、採用することはできない。
4 以上のとおりであるから、被告は、防護フェンスと一体をなす本件フェンスの破損部分の補修をすることなくこれを放置したことは、武蔵水路の設置管理に瑕疵があったというべきであるから、被告は、国家賠償法二条一項により、本件事故により生じた損害の賠償をするべきである。
五 原告らが被った損害
1 一郎の逸失利益
一郎は、死亡当時満六歳一か月の健康な男子であったから、本件事故により死亡しなければ、満一八歳から満六七歳までの四九年間は稼働し、少なくとも平成四年「賃金センサス」第一巻第一表の産業計・企業規模計・学歴計男子労働者の年間平均賃金の収入額を得ることができたものと推認されるので、右の額を基礎として、右稼働期間を通じて控除すべき生活費を五割とし、中間利息の控除につきライプニッツ式計算式を用いて死亡時における一郎の逸失利益の現価を算定すると、左記のとおり二七五二万五三二一円となる。
5,441,400×0.5×10.117=27,525,321
原告らが一郎の両親であることは当事者間に争いがないから、同人の死亡によりこれを二分の一ずつ、それぞれ一三七六万二六六〇円相続した。
2 葬儀・墓石建立費用
《証拠略》によれば、原告らは一郎の葬儀を行い、同人のために墓石を建立し、これに伴い原告ら主張の費用を支出したことが認められるところ、本件事故と相当因果関係のある葬儀・墓石建立のための費用は、合計二四〇万円を下らないと認められるから、原告らは、それぞれ一二〇万円の損害を受けた。
3 慰藉料
一郎及び原告らが、一郎の死亡により被った精神的苦痛には計り知れないものがあると認められるところ、一郎及び原告らの慰藉料は、合計二〇〇〇万円が相当であるから、原告らは、慰藉料として、それぞれ一〇〇〇万円を請求できる。
4 小計
右1ないし3を合計すると、原告らは、被告に対し、本件事故により、各自二四九六万二六六〇円を請求できる。
5 過失相殺
(一) 一郎は前記認定のとおり、本件事故当時六歳一か月の健康な男子であるところ、《証拠略》によれば、一郎は、同年齢の平均的知能を備えており、少なくとも武蔵水路が危険であること、本件フェンスの中に立ち入ってはいけないことを理解する能力を有していたことが認められる。
ところで、本件事故は、前記のとおり、一郎が橋下部分で丙川及び乙山と遊んでいるうちに、丙川とともに本件橋台に出て、本件橋台から武蔵水路に転落したというものであって、転落の具体的態様は、明らかではないが、本件事故当時、橋下部分は、橋下フェンスによって外部と隔離され、橋下部分と本件橋台とは、水路フェンスによって隔離された状態にあり、また、前記のとおり、赤見橋左岸上流側に、「キケン!みずあそびはやめよう!」と記載された看板があったのであるから、一郎は、橋下部分及び本件橋台に立ち入ることは危険であり、禁止されていることを理解できたものというべきである。それにもかかわらず、立入りが禁止されている橋下フェンス及び本件フェンスをくぐり抜けて、本件橋台に立ち入って遊んだ一郎には、相応の過失があるものといわざるを得ない。
(二) また、一郎は、本件事故当時満六歳になったばかりであるから、未だ危険性を認識し、これを回避するといった自己の身を守る能力が十分に備わっているとはいえないとしても、原告らは、武蔵水路の危険性を認識し、日ごろから注意を与えており、原告ら宅と橋下部分は原告ら宅と近距離にあり、子供らが橋下部分を「秘密基地」として遊び場としていたというのであるから、両親である原告らにおいても、一郎の行動を見守り、同人が武蔵水路等の危険な場所で遊ぶことのないように注意すべき責任があったから、本件事故の発生については、原告らにも過失があったというべきである。
(三) 以上の一郎自身及び原告らの過失を総合して斟酌すると、原告ら側の過失割合は、六割とするのが相当である。したがって、原告太郎及び同花子の損害は、それぞれ九九八万五〇六四円となる。
6 弁護士費用
本件事案の内容、訴訟の経過、認容額等に照らすと、本件事故と相当因果関係があると認められる弁護士費用は、原告ら各自について、一〇〇万円とするのが相当である。
7 したがって、国家賠償法二条一項に基づいて、被告に賠償させるべき弁護士費用を含む損害額の合計額は、原告ら各自について、一〇九八万五〇六四円となる。
七 よって、原告らの請求は、被告に対し、原告ら各自に対して一〇九八万五〇六四円及び内金九九八万五〇六四円に対する本件事故発生の日の翌日である平成六年五月一四日から、弁護士費用一〇〇万円に対する本訴状送達の日の翌日である平成七年五月二四日からそれぞれ支払済みまで年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるからこれを認容し、原告らのその余の請求は、いずれも理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法六一条、六四条、六五条を、仮執行の宣言につき同法二五九条一項をそれぞれ適用し、なお担保を条件とする仮執行免脱の宣言は、相当でないので付さないこととして、主文のとおり判決する。
(口頭弁論終結の日 平成一〇年一一月一六日)
(裁判長裁判官 星野雅紀 裁判官 小島 浩 裁判官 鈴木雄輔)